コラム No. 60

合評会

大学時代、美術研究会に所属していた。学内では唯一の美術系サークル。いつも授業が終わったら、部室に行き、だべる。油絵を中心にしていたが、年1回の展示会の前以外は筆を洗うことも稀。だらだらと、もてる限りの時間を無為に贅沢に使っていた。

それでも、週に1回2時間だけ、そのだらけた部室が緊張感溢れた空間になる。デッサン会。大抵は石膏を部室の中央に置き、皆で三脚で取り囲む。モデルを雇える金は無かった。用意するものは大きなスケッチブック、鉛筆、鉛筆を削るカッターナイフ、そして練り消しゴム。十数人が無言で、鉛筆と紙が擦れる音だけが響く。決して楽しくない、でも次回も来る。毎年もうやめようと議題にはなるが、無くなることは遂になかった。強制参加ではない。だから嫌な人はその曜日だけは部室に来ない。

絵を描かない人には分からないだろうが、デッサンは描く対象を直ぐ描き始める訳ではない。暫く対象を見つめ、構図を決める。その日に自分が取組むべき技法みたいなものを設定する場合もある。今日はこんな感じの仕上がりにしようと心に決める。柔らかい鉛筆で進むのか、硬質のもので進むのか。最初に鉛筆の先が紙に触れる前に沢山のことが実は進んでいる。

全体像をざっくりと描き、細部に進む。途中で何度も鉛筆を指先に立て、壁や柱などの定点からズレがないかを確認する。目を細め、強度の近視状態で対象と絵を見比べて、全体像の印象に差がないかを確認する。対象の理解度も自分の独りよがりではないことを確かめるために、対象の後ろ側の見えない部分まで見に行く。布とかは自分で勝手に想像してシワを描いたりし易い、後ろからのつながりも見て初めてどういう構造かが分かったりもする。

楽しくないのはその独特の雰囲気だけのせいではない。元々描くことは好きな連中が集っている。描くこと自体は面白い。辛いのは、自分の力量を自分の目で自覚させられること。そして、デッサン会は描くだけでは終わらないこと。必ず合評会をやる。参加した人全員の作品を一列に並べて、作者が想いや製作意図、描きながら気付いたことを語る。そして回りがコメントする。

語るも聞くも辛い。上手いかどうかは一目瞭然。正確に描けているかは誰の目にも明らか。自分の作品がまな板の上に乗っている時も辛いけれど、友人のがそうであっても色々と気まずい。こんな言葉を使うと傷つくかとかも考えるが、何故そう見えるのかが分からないときもある。それでも言葉にしなければならない。

下手だとか、かっこいいとか主観的な言葉だけのコメントは、冷ややかに受け止められる。何がそう感じさせるのか、何が本来感じ得るものを妨げているのか、何に気をつけるべきか、それなりに真剣に考える。新入生が来る時期は特に真剣になる。新人の方が上手かったりするし、全然絵になってなかったりする場合もなる。でもそれにもそれなりに理由がある。そこを読み取るように努力してコメントする。そうした評価姿勢は、自分の作品つくりを深く見つめる目をもたらす。

自作なのに、何故そんなに頭でっかちなのか、なぜ手があっち向いているのか説明ができないこともある。見えたままに描いているつもり、でもそうは見えるはずがない。一生懸命描き込んでいって、合評会で前に並べた瞬間にバランスが崩れているのに気が付くこともある。恥ずかしくて帰りたくなる。コメントを付けられて、反論したいのに反論できない。力の無さを痛感する。地獄のようにも感じる時間。それでも他人からどう見られるのかを聞きたい自分もいる。マイナス点を並べられるのを屈辱とするなら、これほど屈辱感を味わう時間はない。色々な言い訳は喉元まで出てくるが、飲み込むしかない。皆が同じ条件で描いて、そのアウトプットが並べられている。

でもその屈辱が、上手くなりたい力になる。そうして何かが積み重なっていった。自分が何かを習得していくプロセス。それはいつだって打ちのめされる時が最初のステップだ。変な自信をもったまま、新たな何かを身につけることは無かった。だから、最初にガツンとやられる方が好きになっている、嫌だけど。

また、デッサンといっても、全員が写真的写実的なものを目指した訳でもない。後期のピカソみたいなデッサンを続けたものも居れば、スーパーリアリズムを目指した者も居る。様々な「絵」を許容するという素地も育てられた。合評会は展示会の後にも行なうし、展示会場には作品ごとに紙を用意しておいて、来場者も含めてコメントを求める。全然プロの域ではないけれど、広く浅く様々な「アート」に触れ、コメントする機会を持てた。これでなきゃイケナイ、という感覚は合評会で消されたのかもしれない。アプローチの仕方は幾らでもあり、そのレベルも何段階もある。

純粋なエンジニアと仕事をすると、私は大抵衝突する。私の「もの言い」が先ず嫌われる。目の前の評価対象をできる限り端的に言葉にする。曖昧に優しく間接的になんて思いもしない。曖昧な評価は指針を生まない。大抵の場合、それが耳に優しい訳がない。傷つけるベクトルを持っている。頭から、そうした傷つくことには配慮していない。傷ついて、そこから這い上がってくるかどうかにしか興味がない。私のアウトプットも厳しき審査して足りないと所をガンガン指摘して欲しい。チーム内評価で散々なものは、客先でも説得力はないし、いずれにしても一緒に先には進めない。私にとって進行中のプロジェクトは成功で終わるべきもので、その達成だけが目的になることはない。進みながら次のことを考えているし、一緒にそこまで進める仲間は常に探している。絵に対しても変な遠慮は不要だし、バックエンドを作っている人間にだけ優しくすべきとも思わない。お互い茨の道を進みつつ、「いいもの」を仕上げたい。

とは言っても、余り衝突を繰り返すのは褒められた話ではない。原因を色々と考えた結果、この合評会に辿りついた。私はあそこで訓練されてきたのだと。でも多くの人はそうした場で訓練されて来ていないのかもしれない。褒められて育てられて来たのかもしれない。

エンジニアは「(プログラムソース)コードレビュー」というプロセスで自作を他人の目にさらして評価を受けることができる。多くの真のエンジニア達はその効用を説くが、実は現場では余り広まってはいない。理由は時間がかかるというのと、本当にレビューをしたら傷つけてしまうから。だから、後進育成という本来やるべきことを見据えたプロジェクトでしか、コードレビューは機能していないと思っている。だからこそ、オープンソースプロジェクトでコードを公開する方々の勇気には頭が下がる。

でもHTMLデザイナは、そういった意味では最も勇気の要る職業かもしれない。毎回右クリックでソースを見るような人は同業者だけかもしれないが、殆ど全てが公開されている。良い点も、工夫したところも一目瞭然。このあたりはデザイナとエンジニアの隔たりの大きな要因になっている可能性がある。

エンジニアは仕様書レベルのレビューは少しは多くの人にしてもらえるが、コードのレベルでは、先の理由から全くされないか、少人数の仲間内だけに限られることが多い。それは「屈辱」の場面に出会わないという点ではハッピーなことかもしれないが、実は哀しむべき側面も持つ。自分の資質を他人から真っ向から評価される経験がないことは、大きな飛躍がないことになりかねないからだ。「上手くなりたい」と願う力は、好調なときよりも絶望寸前のときの方が強いように思う。

自分の作品が評価される経験が少ない者と仕事をすると疲れる。どんな批評も非難や却下と取る。「いいもの」に進む前に、くだらない誹謗中傷論を経なければならない。しかも、五月蝿い者ほど、結局アウトプットが少なくて、プライドだけが高かったりする。批評されているものを改善する方向にエネルギーを使わずに、批評した者を攻撃することにそれを費やす。その結果ただでも少ないアウトプットがより少なくなる。もう貴方はいなくていいです、と叫びたくなる。

いたわり合える和やかなチームも必要だろう。お互いに言葉一つにも気を配れる理想郷のような、母の懐のような環境も良いだろう。でも、「いいもの」を目指すという絶対的な信頼感の下で、互いのアウトプットをギリギリまで評価し合える緊張感のある現場も理想的なのだと信じる。過去何度かそんなチームで仕事をしたが、その緊張感の心地よさは今でも忘れられない。なんだかとてつもなく「いいもの」が生み出せそうな予感に満ちていた。

こんなことを書いている間にも、これらが達成できているベンチャー企業やユニットがどんどんと「いいもの/いいサイト」を作りながら、「お先に!」と軽やかに進んでいっている。互いに批評できるタフさ、いいものを世に出す基盤のように感じられる。

以上。/mitsui

コラム No. 59

幻(Vision)

仕事に火が付くと、子供の顔すら見れない日が続く。平日はしかたがないか、と多少の諦めもするが、週末も会えなくなると辛さが増す。私がクタクタで起きてこれない場合もある。成長している子供たちは、その活動範囲も広がっているので、私が家にいても彼らが忙しい時だってある。

子供は私の中で。「生活」の象徴だ。子離れ/親離れとかの議論のレベルではなく、同じ屋根の下に住む者を意識することを生活だと思っている。残念ながらその対極にあるのが「仕事」である。その隔たりはかすかに縮まった程度で、まだまだ大きい。

クタクタで、ボーッとした頭で電車に乗る。何のためにこんなに頑張っているのだろうという想いが心の片隅をよぎる。仕事のために生きているのか。それでも、パソコンを前にすると、ガムシャラに進む。進むしかない。

もっと楽に稼げないのだろうか。やはり時々思う。このままで大丈夫なのか。心配にもなる。体力的な意味でもそうだが、我家が周期的に陥る父親不在の状態にも不安が絡みつく。「生活」をどこまで犠牲にして良いのか。

「楽さ」に憧れを持ち始めたら、思い出す人が私にはいる。私は「転職組」なので、様々な上司に出会っている。その一人は、客先に一緒に行く電車の中で、当時はやっていた映画の原書を読み耽っていた。客先でのプレゼンでは、私しか話さない。彼はただ横にいた。帰りの電車も、彼は読書に励む。上司である以上、私より当然高給取りである。彼と直接的に上司/部下の関係でいたのは数ヶ月だったが、彼が何かを「生産」したのは見たことがなかった。

忙しくクタクタになっている状態のときに、彼を思い出す。別に彼を思い出すのは少し特異な点があるからであって、類似系には何人も会ってきている。凄く楽そうで、昔思い描いていた「幸せ」の構図そのもののように見える。

では、あれが「理想」なのか。優秀な部下に囲まれて、仕事は部下に任せっぱなし、素晴らしいクライアントに恵まれて、交渉時の苦労は何もない。朝早くからエライさん会議に出席して、沈黙を守る。判断はできるだけ避け、ワードやエクセルにデータを転記して、多少の概要を記述してイッチョ上がり。帰りがけにアマゾンで流行の洋書を発注して、時にはワインも。定時に帰宅し、子供たちと笑顔の夕飯(話を単純化したいので大幅に誇張)。

多少の妬みを持たない訳ではない。多少羨ましいと想う時だってある。でも、違うだろう。何かが違う。考えれば考えるほど、似合わない。自分のそんな姿を想像したら、ふき出してしまう。成立するとも思えない。そこに自分の喜びが一緒にあるように思えないのだ。楽かもしれないけれど、楽しそうじゃない。そう、自分が全然楽しそうじゃない。私にしか得られない報酬が見えない。

例えば、プロデューサ的な役割で、無理解なクライアントに振り回されているとする。その無理解さを嘆いてもしょうがない。その知恵がないから、私をプロとして雇っているのだ。それが誰にでも楽にできるなら、私である必要はない。自分達のサイトをどうすべきかを理解し自分で企画を進められるのであれば、他人に頼むこともない。議論が収束しないのは、議論のナビゲーションをしている私のスキル不足なのだ。だから議論がまとまり、方向性が決まったとき、誰よりも喜んでいるのは私だ。それが私への報酬なのだ。そしてそれは他の誰に与えても等価値な種類のものではない。私だからこそ喜べる唯一の報酬であることが多い。

労働力や労働時間に対する報酬を金銭的なものに求めるなら、Web屋は割が合わない職種に当たるだろう。求められるスキルが多岐に渡りすぎるし、想定される賃金相場が低い。企業とエンドユーザを結びつけるスキルは、一言で語られるような種類のものではない。まだまだ雇う側がその価値を正当に評価できていない時代なのかもしれない。

Web屋に身をおくものとして、自分が得ている報酬が正当かどうかは悩む。その報酬の大きさは、喜びの大きさと、生活を支えていく資本の二軸を持つ。喜びの大きさは仕事の規模感に比例する場合も多い、チームメンバとのコミュニケーションの質にも比例する。が、やはり生活できなくては話にならない。霞を喰って生きていく訳にはいかない。

何故、生活に支障が生じるか。経済的問題も無視できないが、時間という要因も大きい。「デザイン」と称せられる作業量を正確に見積もることができていない。例えば、DB提案をする際に、オラクルとサイベースとMySQLとその長短所を見極めたいから、ちょっと作ってみてくれるかと言われて、一所懸命作りこむシステム屋はいない。でもデザインは、ちょっと作ってみてくれで作業が発生する。赤を青に変えただけのバリエーションではない。デザインが緻密な情報デザインに根ざしたものであれば、そうそう発想は生れない。でも「やってよ」の一言で、担当者の幾晩かが消えていく。

こうした壁に対して、成功している(あまりこうした呼称は好まないが)大手のWeb屋は、事実上コンサルティングの色彩が強くなっている。自分達のやっていることの本質をクライアントに納得してもらっていくと言う方法だ。

しかし、そうした方法は誰もができる訳ではない。発言する前に、発言しても良いというステータスが求められると言う構造的壁にも突き当たる。

さらにもう一つの壁がある。現状を「常識」だと思う、諦める、「壁」である。クライアントととの交渉は長時間が当たり前でしょ。終電なんて関係ないでしょ。デザイナは寝ないで二案三案出すのが当たり前でしょ。Web屋が求めるほどクライアントは即決できないのは当たり前でしょ。二転三転しても、良いもの作るのが当たり前でしょ。疲労しきった頭からのアイデアは、品質と言う形でクライアントに被害を与えることも忘れて、現状追認はまかり通る。

聖書を学ぶと「幻のない民は滅びる」という言葉に出会う。「幻」は”vision”の訳である。信仰的色彩を除いて、分かり易く言えば、「現状で満足している人達は滅びる」と言っている。「大志を抱け」と肯定的に意訳しても良い。

Web屋が夕飯を子供と一緒に食べて何が悪い。ぐっすり寝て、映画も見て、アイデアの引き出しに蓄財しても悪い事はない。短時間でクライアントとのニーズが見極められる会議(形態)があっても不思議ではない。終電を逃してからでないと帰れない生活とはオサラバできる。誰もが言い切ることはできないが、幻に見ることは可能だ。

現状を追認するところからは、何も新しい状態は生れない。先日、午前様で帰り着いたら、中一の息子が置手紙をしていた。「水を冷やしておいたから飲んでね」。冷蔵庫の冷えたペットボトルが輝いて見えた。生活を犠牲にする現状を肯定する訳にはいかない。私はもっと息子と会話する必要がある、父として。

今、仕事に追われながら、本来の姿を夢想している。どんな仕事のやり方が理想なのか、それを諦めていないか、考えること自体諦めていないか。幻を見ない私は潰されるぞ、と言い聞かせながら。

以上。/mitsui

コラム No. 57

天狗になる。より大きな存在を思い知らされる。打ち砕かれる。卑屈になる。ウジウジする。とりあえず、と何か勉強し始める。もしかして、これって行けるかもしれない、とノメリ込む。形ができる。社内や社外を行脚する。天狗になる。…。

小さな波を幾つも幾つも重ねる。大きな波も、より大局から見れば同じような繰り返し。こんな波をどれくらい越えてきたろう。スランプになる度に考える。絶好調の時には、そんなことは考えない。後ろをチョロチョロと見始めると、それは行き詰っているというシグナルだと、最近に漸く自分の行動パターンが分かってきた。

過去を振り返る、食玩が増える、名刺の整理を始める。幾つか象徴的なことをどうしてもしたくなる時がある。少し前までは、それを「逃避」だと思って来た。そんなところに逃げ込まないでチャンと問題に向き合わないと駄目だと、無理やり自分を鼓舞してきた。

最近そうした対応方法を改めようかと考えるようになった。「不惑」の年に達してから、どうも体を上手くコントロールできない。そもそも体調に気をつかっている方ではない。色んなところでガタが来ている。ジムに通いたいと、ここ何年も独り言も言っている。でも、問題だと感じているのは体力面だけじゃない。

アイデアが出ないという壁が見える。少し前までは、かけた時間にある程度比例した「何か」が手元に残った。それが最近は、ある時間を過ぎると、なんだか頭が空回りしているのを感じる。同じ考えの中をウロウロとグルグルと回り続ける感じ。ここさっき通った道だ、と気が付いているのに、繰り返す。これ以上考えても、「今は」無駄、という線が垣間見える。そして、キチンと寝て考えると少し先へ進める。

体が悲鳴をあげるように、精神的(?)活動も無理をかければ悲鳴をあげるのかもしれない。胃が疼きだすように、自分の趣味の領域を疼かせて、視点を少しそらせようとする。今は休めとサインを送ってくれている。

でも、頭のどこかで、そんなことはない俺はまだやれるんだ、と無謀な抵抗を試みる自分がいる。もう少し考えよう、もう少しやっておこう、抵抗しつつ、真夜中のキッチンで最近コックリやっている自分がいる。もしかしたら、今はそんな状況に自分を適応させていく準備期間なのかもしれない。

いつまでも同じ体力で走り続けることはできないのだろう。でも、走り続けることは、何も体力だけでなされる訳ではなさそうだ。先日お会いした方は、私よりも二つ上。毎日缶ビールを数本は空けると言われるが、体格はそんな風に見えない。きりっと締まったスポーツマン。何かやられてますか、と問うと、「ヘロヘロになるようなモノを少し」。スーパーマラソン。100Kmを走り抜く。週末は箱根まで電車で行って、走って帰って来る、とか。で、Javaプログラマ。

Javaプログラマに偏見を持っている訳ではないけれど、初めてのタイプ。驚き度が倍増した。なんだか生き方自体に興味を持つ。今1Kmだって走れる自信がない私が色々と質問する。そして聞かせていただいた彼の夢、六十歳になって完走したい、と笑顔で言う。北海道で行なわれる大会では、そうした先輩ランナーが、若者ランナーを激励しながら走るというのが珍しくないそうだ。それが格好良いという。走る境地を私は理解できないけれど、きっと体力面でも精神面でも、身の丈にあった走り方でないとそうは続けられないのだろう。

短距離で熱血だけで走ることしかできない私には異世界物語だ。でも、体が自分をワキマエロと言っている。自分ができること、自分しかできないこと、誰かにバトンを渡していくこと、それらを整理しつつ走っていかなければならない時期に来ているのか。

手前味噌だが、Ridualはそう考えて開発し始めた。今は嫌がらずにやれるHTMLのチェックも、近い将来できなくなる。目だってカスムし、思考も鈍る。検証も甘くなるだろう。それでもWeb屋であり続けたい。だから自動でやれるところは自動でやりたい。

妻の実家は海まで数十歩の場所。年に一度は行くようにしている。津軽弁は私には難解で会話が続かないので、よく波を見つめに外に出る。寄せては引く波をただじっと見つめる。不思議と全然飽きない。何時までも見てられる。

どれも同じような波に見えるけれど、ふと気が付くとそばにあった流木が彼方に動かされていたりする。拾ってみると、結構重い。同じに見える繰り返す波にそんな力がある。自分もそんな波を重ねて生きたい。

以上。/mitsui

コラム No. 58

場数

Ridualというアプリケーションを開発する際に、諦めたものがある。Webサイト開発をメインにすること。矛盾するように聞こえるかもしれないが、開発ツールの開発を選んだ時点で、開発の現場に居続けることは無理だと分かっていた。なにしろ体は一つしかない。

それ程の数のサイトを手がけてきた訳ではないが、自分の手の届く範囲で最新の考え方を取り入れたサイト開発を心がけてきた。様々なツールに囲まれながら、それほど不自由していた訳でもない。それでも、何かしらこの先へ進むのに、ためらいを感じる様になっていた。このまま、サイトデザイナとして進んでいくことも許されたかもしれないが、XMLという魔法を信じることにした。

ためらう理由は一つ。サイト開発をして行く上で、新しく面白いことの比率が、しなければならない通常の作業の比率に比べて、余りに小さくなっていく予感があったからだ。

山ほどのリソース、海ほどのドキュメント。遭難しそうで、溺れそうな量。品質管理の大切さは知っているし、そのための作業だと知っていながら、手が動かない。アイデア発想を「直接的ワーク」と呼ぶのに対して、管理的な作業を「間接的ワーク」と呼ぶと、後者の割合が徐々に大きくなっていく。HTMLのコーディングよりもOfficeを使っている時間が長くなり、これで良いのかと焦りを感じてきた。

しかも、根っからの凝り性が気になる。officeによるドキュメントもやり始めれば、凝ってしまう。一生懸命綺麗なものに仕上げる。レイアウトも索引も揃った、綺麗なドキュメントが出来上がったとき、喜んでいる自分に気が付いた。あれ、これで良いのか?

内部ドキュメントは、エンドユーザに見られることはない。開発の記録のようなものだ。しかし、生々しい記録ではない。クライアントに見せられるように、最終段階のまとめが中心だ。メンテナンスをする上ではこの上ない資料も、開発してきた自分にとっての必要性はどんなものか。次の開発の支えになる資料とは、その綺麗さではなく、本当のところは何に迷って何を基準に選択してきたかという思考の履歴だと思う。そこにエンドユーザをどう捉えるかが潜んでいる。そこがごっそりと抜け落ちている。

しかも、作られた資料の正確さと、それが使われる現場の様相を知っている。資料は大量になればなるほど、制作に時間がかかる。それは、日々刻々と変化しているWebサイトを考えると、最良でもリリース時の話でしかない。ドキュメント作成時間というタイムラグは避けようがない。更に自分がメンテナンスする側になっても喜んで読みたくなるような書き方のされたものには中々お目にかかれない。ドキュメントとして整備すればするほど制作に時間がかかり、整備されて分厚くなればなる程読まれなくなる。ドキュメントはかくも辛い宿命を背負わされている。

勿論良いドキュメントも存在する。作るに早く、読むに簡単、読者に明確で迷いも与えない。ドキュメント制作も含めたワークフローが確立しているところは、そんな簡潔な「解」に行き着いている。但し、多分文化的な違いに泣かされている。予算と提出資料の分厚さが比例しなければならない文化圏で仕事をする場合だ。

プログラミングの世界でも、ドキュメントは大きな課題だった。様々な試行錯誤を経て、最近はやはりソースコードから自動生成という形に落ち着いている。ナマモノはやはり素材そのものに聞くしかない。わざわざ資料作成タスクを作ることはない。ソースコードからアプリケーションだけが生成される時代じゃない、ドキュメントも最新版を生成する。

それがWebサイト開発では上手く回らない。ソースコードのように「機能する」部分だけで構成されていないからだ。レイアウトのために様々な工夫がなされている。そこから大切で人に伝えるべき情報を引き出すのは、プログラムではできなくて、やはり人間の仕事になってしまう。レイアウトに凝れば凝るほど、ドキュメントで自分の首を絞める結果になる。一子相伝のような職人技であるならば、他人がメンテをすることもできない。結局その人にお願いすることになる。それならその人が記憶を辿れる資料があれば事足りるのかもしれない。やはり堂々巡りに陥る。

でも、一筋の光が見えた。CSSだ。レイアウト情報を分離して、レイアウトとして機能する部分だけをまとめることができる。ある程度の自動処理が可能だ。複雑なテーブルレイアウトを解析するよりも遥かに論理的な部分だけでできそうだ。次期Ridualの始まりだった。

そして、再び壁に当たる。次期Ridualの話をすると、「山ほどの実績がある俺たちには、それが必要そうに見えない」、こともなげに言われる。場数を踏んでいないことは信頼に足りない事だそうだ。でも、そのチームも少し見ているだけでも、楽に開発が進んでいるとは思えない。なんだかいつも泥沼に片足をとられている。直接的ワークよりも間接的ワークの方が多そうだ。それも場数が少ない目に映る幻想か。

実際のところ、Ridual Ver.1でも同じような壁はあった。ベータテストをお願いしたところからは、ことごとく「Aができないから駄目」という否定的な答えしか返って来なかった。自分達の経験(文化)ではAが必要で、それができないものは、他に何ができても不要。多少の恨めしさを加味して大袈裟に書くとこんな感じか。

それで、Ridualの場数補強はどうしたのか。様々な知恵や経験則を刷り込むにはどうしたか。Ridualがダウンローダを装備して、既存サイトをお邪魔させてもらった。ディスクをやたら消費するのでキチンと保存していないが、面白そうなサイトがあると、そこにチャレンジする。自分が面白いと思った情報をRidualが取ってこなかったら、Ridualが青臭い。どんな条件に反応すべきかを調べて、その解析能力を鍛える。これを繰り返した。

太古のコードが現役であるサイトに一番泣かされた。全然HTMLじゃない。なのにブラウザでは表示される。ブラウザって偉いもんだとため息が出た。でも、綺麗なHTMLしか相手にしないというタカビーでは、Ridualが相手にされない。あくまで現場主義で行く決心がついた。

そうして、リリースできたRidual Ver.1だが、もう一つ教訓を残してくれた。場数が大切な訳ではない。「優れた場数」が必要なのだ。同じ人が作ったサイトは、コードの使い回しが目に付く。それは必ずしもベストなものでなかったりする。恐らく、数をこなして身についている知識よりも、少なくても大変なサイトを経験して得られた知識の方が、スケール的に大きいのだろう。そして、Web屋の知識とは、このスケールの大きい方の話なのではないだろうか。

場数が足りないとの批判に対する心構えをもう一度思い出して、Ver.2に取り組む。間接的ワークの軽減は、先に進むための足場作りをして行くことと同義だ。そうして見回すと、様々なフリーウェアやシェアウェアが既にある。それが存在しているということは、既にそのツールがないと先に進めないと思える状態になっているのだろう。先達はいつも遥か先にいる。早く追いつきたい。

以上。/mitsui

コラム No. 56

ネットは魔界か?

2004年6月佐世保。また忘れてはいけないことが起こってしまった。小学生が自分の同級生に刃物を向ける。まだまだ良く分からないことが多いので直接的に問題として取上げることは避けたい。驚きや悲しさや様々な想いが、この一ヶ月間頭の中をグルグルと回っている。どう整理すべきなのか、頭が拒否しているようにも感じる。理由は一つ。我が子が被害者にも加害者にも、なって不思議でないと感じているからだ。我が子に限ってなどとは夢にも思っていない。

我家には、中一(12)と小五(11)の子供がいる。さしたる問題児ではない。事件を報じる新聞の一面の見出しを見て、二人ともが絶句した。当然ながら、この問題は家族で話し合った。別に結論が出る訳じゃない。原因探しをしている訳ではない。こんなことが起こってしまった今の日本をどう思うかを、それぞれから話す。日頃から議論できるように育てて来ていないせいもあって、教科書的な答えや、当事者固有の問題のような意見が多かった。学校での取上げ方も聞いたが、担任の個性がそれぞれ出ている程度にしか感じない。でも教育の現場の混乱は伝わってくる。

普通に入手できる情報には目を通すようにしている。様々な意見があるが、この問題の本質を深く考えている人達には一つの共通概念があるように思う。それは、普通に育ち普通に遊んでいけた子供が、こうした道に進んでしまったことに対して自分自身を責めているような部分だ。原因探しをして、防止に努めるのも勿論大切だ。けれど、その前に、何故救えなかったのか、何故押し留められなかったのか。直接当事者達に接することができない人達でも悔しく思っている人達が沢山いる。実際に何かできた訳ではない。距離的にも離れている。しかし、「子供たち」に何かしらできたのではないのか。当事者や社会を語る前に、自分に向き合っている人達がいる。

子供の問題は大きい。自分の子供たちが10代になる前あたりから、「子育て」の大変さを改めて感じている。子供が加害者になる事件も増えたが、親がその子に対する加害者になる事件も増えた。報道のたびに、「親らしさ」も問われる。子供を持つ資格といった観点でも話される。背筋を正さないと読めない話が多い。しかし、敢えて反論すると、親もある日突然「親」になる訳ではない。子供と一緒に育っている。様々な取るに足りないような会話を重ねる中で、親の自覚が生まれ、親としてすべきこと、してはならないことが心に芽生えてくる。そして、それには時間がとても必要だ。けれど、そうした時間を待ってくれる程、今の社会はゆっくりと進んでいない。

子供たちと接する時間を取るように頑張っている。頑張らないとそもそも時間が取れないし、時間をとったからといって、タスク管理表でチェックしていくようには問題は解決されない。正直「面倒くさい事」だし、誰かがやってくれたら嬉しいとさえ感じてしまう事柄だ。仕事の管理の仕方は通じない。答えが見えているのに、自分の血を分けた子が気がついてもくれないというイライラは、情けなくも感じる。答えを示しても、それはその子にとって「答え」にはならなかったりする。本人が気付くこと自体が「答え」だったりもする。勿論、逆に教わる事だって山のようにある。自分が教える立場にあるなんて奢りは通用しない。

充分なコミュニケーションをとっているとは言えない我家だが、一つ気がついたことがある。子供が望むことは昔から変わっていない。「私の話を聞いて」、「私と真正面から向き合って」という点だ。とことん付き合う、これが求められている。そう、昔ガクラン着ていた頃に自分自身が「大人」に求めてたことだ。必死に自己主張する我が子の姿は、そのまま当時の自分の姿だ。自分の経てきた道を、我が子が少し違った角度で通っていると感じるのは、中々感慨深い。そして、向き合えたと感じられる時間が共有できたとき、子供達は何かしら晴れ晴れしい顔をしている。

キチンと向かいあって会話をすることは難しい。ただ話をしたり、説教することの数倍のエネルギーが必要だ。口は一つでも持て余すのに、耳は二つあっても尚足りない。でも互いが「聞く」という姿勢を保つことの大切さは、今の時代特に大切だと日々感じさせられている。聞くには聞く側の忍耐も必要だし、話す側の勇気も要る。しかし、子供達の友達と話していても、彼らが本音を語りがっているのは感じる。誰も想いを心の奥底にしまいこんだまま進めない。王様の耳はロバの耳と叫べる「穴」が必要だ。親や大人は時として、そんな役を担わなくてはならない。しかも喜んで(ここが唯一無二の「その子の親」という立場に置かせて貰っている醍醐味だ)。

ネットの影響が語られる。ネットに書き込む傾向が問題になっている。ネットという「特殊な環境」が子供たちに何を与えているかという論点もよく目にする。そんな「仮想」の世界ではなくて「リアル」な世界の体験を優先しろと指導もされる。しかし私には違和感がある。

ネットで語られる言葉は、「リアル」ではないのだろうか。書き込みする者も、それを読む者も、実在しないのか。「ヴァーチャル」という言葉を拡大解釈して、あたかも現実社会で起きていないような事柄だと考えるのは、旧人類だけじゃないのか。悪口を言う者も、それを読む者も、既に実在している。なのに、それにフタをして奇麗事を言っている気がしてならない。「ネットの世界では皆がオカシクなるのだから、本気で接する必要はない。そんなことは放っておいて、リアルのことに専念しなさい」って、何か変じゃないか?

これは、まさに子供たちが忌み嫌う姿勢でもある。「タテマエ」や「取り繕い」に対する嫌悪感は、多感な子供達には大きい。目の前に見えている問題を直視せず、立場や習慣で処理することに怒りを感じるのは、今も昔も多分変わりない。変わってきたのは、その怒りの出し方だ。

ネットのなかった昔は、衝突した事柄に対抗するには、何かしら直接対決せざるを得ない状況にあった。でも今は選択肢が増えた。直接対峙するのは疲れる。そのエネルギーを、違う方向に向けることで、ウップンを晴らすことができる。例えば、ネットに書き散らすことだ。書いたり、話すことは、自分の中にある「何か」を吐き出すことであり、その「排泄」の効果は精神に影響する。理論上世界中の人が読める場所に書き散らすことは、沈黙の同意者が自分を取り囲んでいるかのような錯覚にも浸れる。「リアル」ではないというイイワケが、様々なブレーキを取り外し暴走し、暴走していることすら自覚できない。何に対して怒りを持っていたのかも、何から逃避しているのかさえ、見えなくなる。

更にネットを「はけ口」にすることを危険にしているのが、ネットの世界に「大人」が少ないことだ。ネット時代が一般的に幕開けして余りに歴史が浅い。経験則が成立していない。どうコミュニケーションしていいのか誰も見本を見せられない。しかし、大人は少ないだけだ、いない訳ではない。

私は個人的なことでも仕事でも、ネット上でよく「喧嘩」をする。全然大人じゃない。とことん話を詰めたいし、できるだけ端的に書くので、表現が強く、誤解も多いらしい。挨拶文も嫌いだし、書面と同じフォーマットでメールをやり取りする気持ちも端から理解できない。戦歴は人より多いだろう。後悔する事も、謝る事も多いが、和解に至ることも多い。

ネットのやりとりで、私は一つのルールを決めている、「ネットで起こした喧嘩はネット上で解決すること」。最終段階を越えない限りネットに踏みとどまることにしている。メールでもめた事柄を、「メールでは議論が発散するので、今度呑みに行きましょう」というソリューションはナンセンスだ。その場やその人との関係は良好化するだろうが、それでは解決になっていない。それは問題を先送りにするだけで次回への教訓もない。その場しのぎは「解」ではない。私はその時議論している事を解決したいだけでなく、ネットでの「よりよいコミュニケーション」の仕方を習得したい。ネットが、本音で語り合える場になることを願っている。

子供たちも、本音を言える場所を探して、ネットに行き着いたのではないだろうか。現実社会では言えない事を語れる場、逆に言えば、それ程子供たちの心の中に何かを叫びたい衝動があるのではないか。だとしたら、問題なのはネットではなく、現実社会だ。言いたいことが聞いて貰えない社会。大人でもそう感じている。子供たちが真っ先に純粋に反応しても不思議ではない。

先日、英教育研究所が子供のネット教育についてコメントを発表した。「子どもにチャットルームや電子メールの利用を一切禁止しても、ふさわしいインターネットの使い方について何ら教えることにはならず、むしろ将来的に直面する危険に対して無防備な状態を生み出すだけになる(Rebekah Willett氏)」。これは実は年齢的な子供についてのみ話しているのではないように読める。氏の指摘する「子ども」とは、我々大人のことではないのか。
ref) http://pcweb.mycom.co.jp/news/2004/06/08/004.html

人の命の重みを説きながら、高校生が殺しあう映画の縦看板が校門の横に立てられる。そうした映画が大きな話題になる。規則を破ったら根掘り葉掘り様々なことが聞かれるのに、大儀の説明もなく爆弾が落とされる。子供たちは馬鹿ではない。そんな矛盾には気がついている。そして、自分でも気が付かない心の奥で何かしらのイライラやモヤモヤが蓄積されている。ネットが魔界なのではない、現実が魔界なのだ。今ネットは現実魔界の排泄物を一手に引き受けているようなものだと捉えるべきではないだろうか。そう、憎悪も悪意も全て。根底に存在している善意とかが霞んで見えなくなるほどに。

人は人とコミュニケーションしなければ生きていけない。そして、人と人との交流の場では衝突も避けられない。様々な価値観があり、様々な人がいるのだから。しかし、その衝突を最小化する知恵はあるはずだ。その希望は捨てたくない。そのためには「上手に衝突する」しかない。衝突を避けるだけでは、知恵は育たない。そして、その知恵を子供たちにバトン渡ししてあげたい。

仕事を無理やり打ち切って、子供の寝る前に家に辿りつき、たわいない、本当に他愛無い会話をしながら想う、「何かできる」と、「何かしなきゃ」と。

以上。/mitsui

コラム No. 55

本は解答自動販売機か?

情報がWebで簡単に引き出せるようになった今、「本」の意味とか価値って一体何なのだろう。実のところ、私自身は本に囲まれている状況が大好きだ。太いネットにつながっている状況と比べても、好みとしては本の方だと言える。情報検索も、ほぼ習慣的に本を探してしまって、横で若手がグーグッ(Google)ているのを見て苦笑することはよくある。

母が司書だった関係もあり、書籍の山の中に入る経験は小さいときから多々あった。しかし、文字を読む経験は人より多くは積んでいない。手塚治虫に出会ってから、「絵本」にしか興味がなかった。文字を通して読み解いていくプロセスよりも、視覚的に直接訴えられる方が心地よいと感じた(この辺りが稚拙な文書しか書けない理由かもしれない)。

少し古くなった本特有の「匂い」も、好きではあるけれど、ハウスダストのアレルギーに微妙に触れるようで、満喫することもできない。大きな本は、持ち歩くのに苦労するあの重さが嫌いだし、読み続けた本の手の触れる部分が色濃くなっていくのも、カバーの縁がささくれ立っていくのも気になる。

なのに、本に囲まれている状況は好きだし、なんだか安心できる。何故なのだろう。そこに書かれている情報以上のものを身近に置いているという気持ちのような気がしている。

本に求めるものを、現在のWebデザイン系定期雑誌が端的に現している。淘汰の結果、今や二誌(或いは二社)に絞られた状況で、この二つが中々好対照で面白い。一つはとにかくTipsに肩入れしている。読んで直ぐに使える情報。他方は、理論的な話や哲学的な色彩も含む。誰もが直ぐには使える訳ではないけれど、記憶に残っていればいつか花を咲かせる種のような話も多い。

本を求めるとき、この二つの方向性で探す。JavaScriptやActionScriptの記述で困ったとき、そのまま使えるコードが欲しい。何冊もめくり、Webを歩き回って拾い集める。火が付き始めたプロジェクトで、こんな方法で難を逃れたこともある。けれど、少し余裕があるときには、「考え方」そのものに触れようとしている自分に気がつく。決して即効性の解答を求めていない。そして、どちらが記憶に残っているかというと、圧倒的に後者であることが多い。

更に考えると、得られたものの再利用の局面でも面白い傾向がある。Tips集は、その技術が欲しいのだけれど、本当に欲しいのはコードであって解説文じゃない。しかも本の印刷されたものではない。CD-ROMに収録されている、そのままコピーペースト可能なモノが欲しい。そして、それは大抵の場合、Webの何処かにも埋もれていたりする。「本」という形が必須だとは言い難い。収録してくれている本にも愛着は薄い。

では、理論や哲学論的なものはどうだろう。アイデアという面で見れば、こちらも本の形をしている必要はない。引用などを考えると、シンプルなテキスト状態でネットに置いてある状態が一番嬉しい。

でも、本の形にして手元に置いておきたくなる情報がある。そのアイデアや熱い言葉をもう一度思い出すときに、その本という形のお世話になったりする。ページ数は覚えていなくても、「あの写真とこの表がこんな風に配置されたページの上から1/3あたり」という憶え方をしている情報も幾つかある。その写真を思い出そうと頑張っていると、その文書そのものが頭の中にパッと浮かぶときもある。これは「固定」されているとか「制約」されていることが、何か記憶の引き金になっているのかもしれないし、Webの日々更新されるバナー広告に代用させることはできそうにない。上手く書けないけれど「ページ」という単位が記憶しやすく刷り込まれているのかもしれない。本の形をしている必要はないかもしれないが、本の形をしていることで助けられる部分も多い。

一度触れた考え方などを何度も思い返すようなことを考えると、「本たるべき『本』」とは、実用書的な部分だけではなく、理論や考え方や熱意等がある程度含まれているものであるように感じる(Tipsのありがたさも必要性も否定はしない)。なのに、最近目に付くのは、やはりTipsの比重が高い。編集者とも話す機会があるのだけれど、読んで直ぐ使えるものでないと商品価値がないと言い切る方も多い。

Webの開発手法論にしても、客観的情報だけとか答えが欲しいと言われる時もある。読者に考えさせるな、読者が読んで直ぐに真似できるものが一番、という文脈だ。けれど、私は著名人の話を読んだり聞いたりしても、その通りにしたいと思ったことは余りないし、答えが欲しい訳じゃない。サイトマップを模造紙四枚張り合わした大設計図にびっしり書いたり、プロジェクト部屋を作って常に情報を張り出したり。様々な実話に接したけれど、関心も感動もするけれど、興味を持つのは、どうしてそうしなければならないのか、何がしたくてそんなやり方を採用するのかという原点部分だけだし、自分とその著名人との差異を考えるのが楽しい。そんな見方が可能なのだという驚きを期待している。

でも、そんな感覚の方が稀なのかもしれない。本に対してだけでなく、相談でも先ず解答を求める人が増えている。自分の状況を充分に説明することもなく、「どうすれば良いと思いますか」とか「何か良いアイデアもらえませんか」と言い寄られる。「考えるって、実は楽しいことですよ」と悩むことを薦めてみたりする(そんなに冷静には言わないけれど)。

悩んでいるときは本人にとって辛い時間かもしれないけれど、あとで考えると成長みたいなものが見える時でもある。そう考えると、深く悩むネタをもらえることも一種の恵みだ。だとしたら、答えばかりが並んでいる本ではなく、自分が考えもしなかったことに眼を留めるようにしてくれる本はかなり貴重なのではないだろうか。

そもそもWebサイト開発には「解」なんてなくて、悩む入口だけが一杯あるのかもしれない。ユーザビリティとかアクセシビリティなんて、根本的には、そういった話だ。どこにでも適応可能な技術Tipsは少なく、考え方の基準や原点こそが使いまわせる。

Webという圧倒的な情報蓄積システムがここまで育っている現状で、本が挑むターゲットって「便利さ」なのだろうか。即席インスタントラーメンよりも、料理を作るプロセスを味わい楽しむ人もいるし、その数は実は多いように思える。実際、Webにない本の武器は、幾重にも重ねられたであろう編集プロセスとか出版(情報発信)に伴う覚悟のようなものではないだろうか。それが活かせるのは、枝葉のTipsの方向ではなく、根底の思考的基盤の方向のような気がしてならない。

出版不況の数字は何度も見るけれど、実体験としては薄い。立ち寄る本屋は常に客がそれなりにいるし、電車の中の読書家も昔より多い気がする。結構な分厚い本を熱心に読む姿に、老若男女の隔てはない。「情報」に皆が飢えているというお国柄は昔とあまり変わっていないのだろう。なのに、本が売れないとしたら、売られているモノと、求められているモノとがずれてるのではなかろうか。あるいは値段のズレか。

最近、便利な本は増えたけど、いい本は減ってはいないだろうか。ユビキタスな環境がそれなりに整いつつある今、手に持って歩きたい「本」って何なのか、今日も電車で本を開きながら考える。

以上。/mitsui

コラム No. 54

プレゼン

プレゼンテーション。最初に、これから話すべきことを簡潔にリスト表示する。自己紹介と謝辞をいう。聞く人の目を見て、早口にならないようにゆっくりと話す。資料は、レイアウト的にも色彩的にも見やすくし、全ページ数も表示し、今が全体のどの辺りにいるのかを暗示させる。終了時には自分へのアクセス方法を示し、今後に繋げる。

最初の会社ではほぼこの様に教わった。外資系であり、外人講師がやるとカッコイイと思うものの自分がやっても、ちっともサマにならなかった記憶がある。当時プレゼンを行なう方々は皆雲の上の方々ばかりだった。

道を踏み外し始めたのは、幕張で行なわれるようなEXPO的な大きな展示会に行き始めた頃からか。いわゆる「ウケ」の部分への関心が高まっていった。自分の中で「プレゼン」の定義が、「適切な情報を適切に手渡しする場」から「情報以上のモノのやり取りの場」に徐々に変わっていった。

それまでは、「礼儀」という部分にかなりウエイトを置いていた気がする。しかもプレゼンされる内容は「上」から示されるような権威をもった情報だった。話す側にも聞く側にも漠然としたこの共通意識があった。プレゼンする側も緊張して、とにかく正しく情報を伝えることに終始していた。それが礼儀であり、正しいプレゼンだと信じていた。

それが徐々に変わっていく、違う世界が見えてきた。与えられた時間をどう「有意義に過ごしてもらえるか」、それがテーマに変わりつつある。楽しんでプレゼンしたいし、楽しんで「参加」して欲しい。一緒にいる時間が忘れられない瞬間になって欲しい。俗に言うと「ショー」化しているのかもしれない。

90年代後半の幕張はそんなプレゼンの発祥地かもしれない。今のように各社独自が行なうプライベートセミナーは余りない時代、殆ど全ての大きなベンダーは集結し、喉を腫らしてプレゼン合戦をした。数万人が往来する大通りで数分間立ち止まってもらう、そこに腕の見せ場があった。金持ち企業は女性を派手な衣装でズラーッと並べたが、そこにもプレゼンで勝てるかという挑戦。

お話だけでは客は飽きてしまう。発表する製品自体もビジュアル的な仕掛けが多かったので、視覚的効果は計算されて使われた。デモの手際も評価の対象だった。大会場で時間に追われながら行なうことは、正直言ってデモを行なう場としては不適切だ。実際の使われる現場ともかけ離れている。でもそこでも見せる、魅せることができるという点が、その商品の実力とも思われた。

文字入力をするときに、「あ」と打つだけで「赤坂何丁目」のような変換を仕込んでおくようなTipsから、料理番組のように「流れ」を説明して仕掛けるところまで見せて、予め用意しておいた完成品を見せるというのも流行った。あえて、その場でやってみせるツワモノもいた。冷静に見れば、その製品の新機能として、できて当たり前ことが目の前でできたことに対して、演じる側も見る側も拍手をした。

有名なプレゼンテータがいた。A氏。彼の話を聞きに行くのが目的だったこともある。技術的な新しい話を期待しないで出向いたときもある。彼の視点と話し口を体験したかった。正直に言えば、技術的にはアヤフヤな発言は多かった。しかし、それで問題はなかった。技術畑の人間で無いことは殆どの人が知っていたし、初心者レベルのことでも彼がやろうものなら、こちらがドキドキしたものだ。何故それで「問題がない」のか。彼は誤った情報を示したと分かったら、きっちりと謝ったからだと思う。礼儀も正確さも吹っ飛んで納得した。会場から出るときに私が持って帰ってきたものは、情報ではなく熱意に近いものだった。

Webの情報氾濫は当時よりも強まった。しかし、大抵の情報がネットに落ちているという常識も同時に形成した。その状況でわざわざ足を運んで情報に接する目的は何だろう。ショー化したプレゼンはそれを先取りしていた気がする。印象に残らないプレゼンを見に行くのは、時間の無駄だろう。但しその印象を生むメカニズムに個人差がある。Tipsで満足する人もいれば、情報源URLを取得できれば良しという人もいる。有名人の声を聞くことで満足する人もいて、千差万別。でも不思議と、「印象に残ったのは?」と聞くと、結構「本当に良い」モノが上位に来る気がする。

あとで、そのA氏の逸話を聞いた。担当するプレゼンの練習にどれほどの時間を割いたか。社長自らが前に座った会議室。何度も何度もリハーサルをしたそうだ。社長曰く「俺を納得させられないで、客を納得させられるか」。愛想笑いにも見えた笑顔の裏に努力が蓄積されていた。だからこそ、外人のやる「レディース、アンド…」の格好よいだけのプレゼンよりも遥かに記憶に残るプレゼンだったのだ。

最近、プレゼンの流れは変わってきている。誰もがPowerPointを使うようになってからプレゼンコンテンツの平均的「質」は明らかに下落した。どう考えても読めない量の情報を5秒しか見せない画面に押し込める。テンプレートの概念も無視され、ページごとに企業ロゴの場所が左右に揺れ、タイトルの位置も文字体も統一感が無い。

デモ機がフリーズする頻度は以前同様レベルだと思うが、プレゼンテータが固まってしまう頻度は異常に高くなった。「あれ、どうしたのかなぁ」のつぶやき連続攻撃や、沈黙しての復旧作業。そこが壇上である意識がまるでない。機械ではなく人間が行なっている理由に、アドリブができるという点も入っているだろうに。聞いている側の人間の醒める速度が読めていない。

自分のプレゼン能力も高くは無いので責める立場には無いが、(私的には)A氏を中心として築かれてきたプレゼンノウハウが断絶の憂き目に会っているように感じる。当時の観客への配慮やオモテナシや敬意が希薄になって来ているように思うのは私だけではないだろう。

更に、最近はプレゼンする場面も多様化してきている。機能を見せる場面だけでなく、プログラムコードを見せる場面も増えてきた。しかし、これは会場とかインフラも遅れている。縦長の会場では、数十行のコードを前列の人からから最後列の人までキチンと見せるには、常識的に言って無理がある。しかも、演じる側も何(コード紹介か機能紹介か…)をメインにするのかを告知しない場合もある。観客は好きな期待を抱いてプレゼンを見て、満足する人もいれば、裏切られたと思う人もいる。

会議のような場でも、文字情報ならファイル共有をしている限りあとでじっくり読める。それを作者に朗読させる意味は何だろう。棒読みならば多分無意味だ。読んでも分からない部分を補ったり、読むこと自体を省略できなくては、本末転倒だ。でも、それができるための条件もある。数十ページの計画書を5分で説明しろといっても、それは無理。それがしたいなら聞く側との相当の共通意識がないとできる訳が無い。でもそんな要求も稀ではない。じゃあ、伝えるべきモノは何だろう。

最近熱い方々のプレゼンに接する機会が増えていて、プレゼンそのものをもう一度考えさせられている。資料は何の変哲もない数ページなのに、感動してしまう、唸ってしまう時がある。別に顔を真っ赤にして熱弁奮っていないのに、何かジンジンと響いてくる。言葉にできないけれど、プレゼン資料には載せ切れない情報がある。それがプレゼンの根っ子なのか。

Webが情報配信/受信の仕組みである以上、その発展は従来のそれに影響を与える。人対人というプレゼンの領域にも影響を与えても不思議ではない。どんな情報がプレゼンする価値があるのかという根底から、熱意のような計測不可能なものまで含めて、地殻変動が起こっている。eラーニングが当たり前の世の中が来る前に、足元を見つめてみるのも面白い。

以上。/mitsui

コラム No. 53

アクセシビリティ

2004年3月、そのセミナーは開催された。テーマは「アクセシビリティ」、主催はアンカーテクノロジー(株)。都合で最初の1.5時間しか聞けなかったが、背筋が凍る思いがした。いままで何をやってきたんだろうと自分自身を情けなく感じた。新技術にキャッチアップできるかという問題ではなく、面倒だから避けてきた自分を卑下する思い。久々に味わう劣等感。

私的には2004年のWeb界のメインテーマは、この「アクセシビリティ」に決まりだ。正直言って、いままで見ないフリをして逃げてきたテーマだ。しかし、もう逃げられない。逃げる言い訳がなくなってしまった上に、その理論と実装方法に惚れ込んでしまった。

セミナーの講師は、森川氏と神森氏。Web業界を見てきている人で、この二人に存在感を感じていない人はモグリだろう。特に森川氏は、今ではMacromedia社の主力製品であり、Web業界人の標準ツールであるDreamweaver/Fireworks(DW/FW)の伝道で、MM社員よりも貢献したといっても良い御仁だ。3時間程から始まった伝道セミナーは徐々に伸び、5時間耐久、8時間耐久までにも拡張していった。体力の続く限り、知っていることは全て伝いたい。そんな氏の姿勢に頭が下がる。それにお世話になった業界人は山のようにいるし、神森氏は、月刊誌WebCreatorsで「いますぐはじめるCSSデザイン」をロングラン連載中だ。森川氏の「動」に対して、神森氏の「静」という感じもする。異色といえば異色だが、Webの流れから見ると必然とも言えるコンビなのかもしれない。

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そもそもtableタグを用いて、正確な(どのブラウザでも同じく見える)レイアウトの作成方法を広めたのは森川氏だった。横幅を正確に固定することのできないtable構造に、「spacer.gif」という固定幅実現のための「つっかえ棒」を配置することでカチッとしたレイアウトの実現が可能になった。その正確さを重視するために、tableは何重にも入子状に配置された。Webデザイナ必須のTipsと言っても良い。

そうした手法を提案してきた氏が、それを否定した。申し訳なさそうだった。しかし、良いモノを見つけてしまったからには伝えざるを得ない。DW/FWの時と根っ子も姿勢も同じだ。申し訳ないけれど、この方法を見てくれと力説する氏の姿に、言ってる事が違う等と怒りを持つ訳もなく、再度信頼してみようと思わされる。

アクセシビリティ。従来は身体障害者にも「優しい」Webサイトの指標として捉えられていた。今でもそういった響きが強いかもしれない。多くは音声ブラウザへの対応を指し、目が見えなくても情報入手が可能か、情報操作ができるのかという観点で捉えられてきた。

しかし、ここ数ヶ月の間に行われたアクセシビリティ系セミナーに参加して、実際の音声ブラウザの「声」を聞いていて、違う点に気付かされた。それだけではない。ページを読上げ聞きなおすと、そのページの「意味付け」が明確になる。自分が無意識に何を「装飾」として付け足しているのかがはっきりする。

例えば、左上端にメインロゴを置く。その下にサイトのメインページへのリンクを貼る。左側にメニューを置き、その横にメインコンテンツを置く。それを音声ブラウザで読んでみる。そこで気付かされるのは、メインコンテンツに辿りつくまでに読みあげられる、二次的な情報の多さだ。音声ブラウザでこのページを「見ている」ユーザは、このページの中心点に到着するまでに山ほどのリンク情報を我慢して聞かなくてはならない。このページは一体何なのだ、そうした一番肝心な情報が最初に語られていない訳だ。

別に目の見えるユーザの方が多いのだからそれでも良いじゃないかと考える気持ちが一般的だろう。しかし、昨今のセミナーの主眼は、そんなところに無い。情報の「整理」という部分を今一度見直してはどうかと問いかけている。

Web情報が様々なデバイスで見られるようになるずっと以前から、何度も「ワンソース・マルチユース」という夢物語は語られてきた。しかし、現場に居るものとして、情報(コンテンツ)とレイアウトを切り離さずに書いている限り、薄々とではあるが、それが単なる夢であることは皆が感付いている。でも今回は少し違う。単なる夢ではないかもしれないという希望が見える。

今のアクセシビリティの流れは、こうした問題を解決するものとして、CSS(Cascading Style Sheets)を中心技術に据えている。CSSは、デザインの幅を広げるモノとして、今までもスポットライトは当たってきている。しかし今回の文脈は少し違う。

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方法論的には、情報の優先順位をキチンと考え、そのタイトルを、今まで使ったことも無い、H1~H6タグでランク付けをする。ランク付けされた情報部品の中身の体裁を分類(ID付けや、クラス分け)し、情報整理する。情報整理された情報をHTML化し、分類された体裁をCSS化する。出来上がったHTMLは、H1-6,div,span,p,…等の非常にシンプルなタグで構成される。情報は全て左側に張り付いている。そっけなくも感じるが、上から読み上げると論旨は明確。装飾が殆ど無い。装飾に関する情報は全てCSSの中に書かれている。

これを読んだだけでは、こうした構成方法の苦労の本当のところは分からないだろう。森川氏はセミナーの中で、「この方法はウワベを変えるような作業ではない、まるでビルを土台まで壊して更地にしそこから再度作り上げるような作業です」と言った。聞いたとき、私もその意味するところは分かっていなかった。

しかし、Ridualサイトで試してみることにして、泣かされた。正直言って今までの考え方が全然通用しない。情報を見るたびに、trやtdタグが頭をよぎる。いやいやそうではない、レイアウトをしたい訳ではない。情報を整理して表示したいのだと言い聞かせる。装飾を削ぎ落とす、それがこんなに難しいとは思っても見なかった。味も素っ気も無いHTMLを見ると、そこがコンテンツ自体の勝負であることが明確になる。ただでさえ、Ridualサイトは説明不足の部分があるのだが、それが浮き彫りになる。それは如何に見た目で「上げ底」をしていた自分と対峙することにもなる。

CSSで何ができるのかが分かっていないと、効率的な情報分類は不可能だ。情報分類ができていないと、CSSレイアウトは進まない。鶏が先か卵が先か。そんなジレンマの中で試行錯誤を重ねる。おまけに、ブラウザ依存の問題が頭を持ち上げる。何となくどのブラウザがどのタグをどのように表示するのかが、常識的に感知できるようになっているのに、それも白紙になる。そもそも対応していないブラウザもまだ存在する。まるっきり一年生状態だ。

でも苦労して作ったサイトは気持ちが良い。まだまだコンテンツが足りないことは自覚しているが、今までと違った満足感がある。CSSをONにした状態と、OFFにした状態とで見比べる(NetScape7.*は標準出可能、IEはPlugIn「ス切りボ」が必要)。故意に非対応にしたブラウザではOFF状態で見える。イメージもCSS中で規定しているので、非対応版では絵は表示されない。iModeで見ても文字だけでそのページで何を伝えたいのか簡潔に表示される。二重に配置したCSSはiModeでは感知されないので、余計な装飾グラフィックはダウンロードされない。パケット代もかからない。

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メインメニューも表示上は上のほうに来るが、HTML上は下の方にある。先ほどの読まれる順番を意識した。そのページのアイデンティティのようなものにできるだけ早くアクセスできるようにしたつもりだ。その分、今までに無いことも起こっている。下に記述されているが故に、最後の方で読み込まれレンダリング(表示)される。じっくり見るとメインメニューの出方が遅い。キャッシングも少し今までと違う体感がある。

実は公開後もCSS部分は、上記対応も含めて毎日のようにいじっている。HTMLはそのままで。レイアウトだけ別に修正可能だという実証実験。まだズレがあったりするので、改修工事は暫く続く。ブラウザ依存テストも並行して続けているが、それすら後ろ向きではない。毎日が発見の連続。久々にページ記述が楽しい。ウチのチームは少人数ながら結構湧いている。なんだか最先端を行っている気がするのも、こそばゆく嬉しい。

これからのWebサイト開発では何が主流になってくるのか。間違いなくCSSレイアウトだと思う。私自身はデザインに敬意を払わないエンジニアは二流だと信じて疑わないが、開発プロセスを考えればデザイナ作業とエンジニア作業の接点は少ない方が良いに決まっている。衝突も間違いも少なくなる。CSSレイアウトではそれが可能だ。

つまりそれは、JSPやASP等動的ページの開発にも適応できるということだ。サーバで生成されるHTML部分には装飾要素は無い。装飾はCSS任せ。JSP内のHTML部分で、デザイナが苦心した部分をエンジニアが踏みにじって、レイアウトだけではなく、チームの仲さえ滅茶苦茶にする事例は多々ある。面倒な衝突をただ避けるために、デザイナを入れないプロジェクトも少なくない。しかし、今度は情報整理がなされて、class/idが付加されていたら、デザイナが独立に見た目を、情報伝達の滑らかさを演出できることになる。

セミナー中にも紹介されたが、端的な例が”CSS Zen Garden”。共通のHTMLを使い、CSSのみを替えることで何が起こるかの実証実験サイト。ページ内の英語はまだ読んでいないが(読まなくても大丈夫)、同じ内容のページの見た目がこんなに変わるという事実。CSSのデザイン能力の幅が実体験できる。行間調整とか微妙なスタイル調整にCSSを使っていた方にとっては、目から鱗の話かもしれない。既にガイドブックが出ている。既に書籍になっているということ自体に、自分のふがいなさも感じる。また、最近流行のBLogを通じてもCSSの表現力は実感可能だ。

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今アクセシビリティへの対応を考えていない企業サイトは少しヤバイかもしれない。この6月にはJIS化もされる。「tableレイアウトは望ましくない」というレベルの表現がなされると予想されている。JIS側には、強制的にtableレイアウトを排除したいとう意思はどうやらなさそうだが、それでもインパクトは絶大だろう。公的サイト構築の指針に組み込まれるのは時間の問題だし、「右にナラえ」大好きなお国柄だ、大きなところが動き出せば一気に普及が進むだろう。しかも、実は多くのメジャーな企業は既に、ポスト・プライベートポリシーとして独自の規定を設けてきている。アクセシビリティポリシーが無いサイトは、情報を読んでもらうという意識に欠けていると言われる可能性もある。情報を出したいだけの自己満足サイトという印象すら持つ。情報は、読ませる方向から読んでもらう方向に向いているのかもしれない。読んで頂く「おもてなし」ができないサイトは無粋といった感じか。

しかし、「我々」には大きな問題が出てしまった。情けないが、、RidualでRidualサイトが解析できない。Ridualは、まだCSS対応できていない。まだJavaScript解析で苦戦中。今まではこれでも、Ridualのダウンロード機能で試されても良いように考えてきた。でも、今回は付け焼刃では対応できない。グラフィック部品を殆どCSS内に記述してしまっているので、リソースの感知さえできない。でも、方向性を見つけた。次のターゲットは、CSSだ。

情報構造をレポートする機能、定義されているスタイル情報、どれがどう使われているのかのトレーシング機能。今後、コンテンツとレイアウトの分離が進めば、こうした情報が必須になってくる。今までデザインガイドラインという分厚い「遵守されるべき」ドキュメントが、「実際にどう適応されている指針か」という実装レベルの情報として必要になってくる。

これらを自分で書くのは、私は勘弁して欲しいと思った。ましてや、他人の書いたサイトのCSS仕様チェックは、かなり辛そうだ。こうした作業こそ自動でやるべきだ。勿論設計時は自分で書く。しかし、納品時にそれが「現状」を表すものと言い切れるほど、私は自分を信じていないし、大きなサイトになるほどブレは大きくなると思わざるを得ない。納品前のサイト構築デバッガ。更に、自分が納品してもらう側になったときの確認ツール。これが無いとこれからの道のりはかなり厳しい。

サイト解析は、「リンク情報」と「リソース情報」と「情報構造」の三方向から行われると予想してる。現状は前二者だけ見ていれば、ほぼ事足りる。が、次世代はそれだけでは足りないのだろう。当然、CMS(コンテンツ・マネージメント・システム)との絡みも出てくる。大量のコンテンツを扱うように慣れば、効率的に管理したくなるのが常だ。この時にも、どういった情報はどういったレイアウトで表示すべきだという「設計」が必要になる。

羅列された情報を整理して、サイトが出来上がってきたように、まさに一度更地に戻すようなフェーズを経て、構造化された情報の密集地としてのサイトが徐々に現れてくるのだろう。

今は、そんな七面倒な作り方ができるかと思う方が多い気がする。でも、trやtdで組まれた情報から、本質的な情報を抜き出して別デバイス用に加工するような作業をしてみると、このCSSレイアウトが本流のように感じることだろう。

もうひとつ。今まで現場を無視した、学者肌HTMLチェッカーと思っていたlintで高得点が取れるようになる快感。普通にtableレイアウトをしていると、マイナスの評価しか得られない。-20点とかで、-40点のサイト管理者を笑うという、「目くそ鼻くそを笑う」状態だったはず、普通は。。それが情けなくて寄り付かなくなってしまったツールだが。CSSデザインにすると高得点が取れる。高得点を取れて悪い気がするはずが無い。最近行きつけのサイトになっている。立ち返れば、HTML記述の根本精神をツール化したものだ。今になってそこで高得点を得られること自体が不思議な感覚だ。

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特定の技術だけを見ていると、その浮き沈みに一喜一憂してしまう。ブラウザ戦争のような欲望の渦に巻き込まれることで、苦しむこともある。Web制作の現場には、この先余り良い話はなく、面白そうな技術の登場が香辛料程度に広がっていくのだろうかと思った時期もあった。しかし、地道な人たちが実は地道に頑張っていたんだ、と気付かされる。CSSの意味に漸く気がつく私は大馬鹿だ。壮大な構想と、シンプルな実装。このWebの中心二軸は光を失わずに生き続けていた。愚痴言っている場合じゃない、勉強不足を言い訳にしている場合じゃない。改めて、大きな流れと、Web業界に居させてもらえて良かったと実感する。

以上。/mitsui

コラム No. 52

MAX JAPAN 2004、Flex

このドッグイヤーの時代に3ヶ月も前のカンファレンスの報告をするのも気が引けるが、触れずにWebを語るのにも抵抗があるので。2004年2月、Macromedia主催のプライベートカンファレンスが渋谷で開かれた。2日間、約40セッション、約3000名の集客。1企業で行う有料カンファレンスでは最大規模の一つだろう。「Web」というキーワードに関係するデザイナやエンジニア、それぞれのマネージャ達。ピアスからネクタイまで、これだけの客層を集めることのできる「場」は類を見ない。

個人的なベスト3について(この中での順位は無し):

A) 中村勇吾氏セッション
既にGoogleで探せば様々なコメントが見つかるが、インターフェースの考え方について、氏のコンセプト的な話。「こちら側」と「あちら側」を結ぶために、どのような思索が経られていくのか。機能提供だけで良いのかという問いかけと共に、鳥居が延々と続く写真やシナゴーグ(初代教会)の写真を大画面に映しながら、淡々と語る氏の姿は、もはや別世界の人のよう。Flashの可能性を誰よりも早く完成された姿で見せてきた氏ならではの世界と言える。パイオニアだからこそ見ることの出来る世界が実際にあるのだという実例だ。話を聞きながら、後付で理解することはできるが、あのように発想し、あのように実装し、あのようにクライアントと並走できるのは氏しかあり得ないのかも知れない、と感じてしまう。技術が成熟してから追いつけばよいという投資問題にすり替えて考えがちな頭をガツンとやられた感じさえした。先頭を走る者には、それに追いつこうとする者の視界にないモノが映っているに違いない。
B) 田中章雄氏の部屋
本当は2日目のキーノートに続くジェネラルセッションではあったけれど、田中CTO主催の「徹子の部屋」的な展開だったのでこう呼ぶ。4部構成で、最初の3部までが先端的な開発/適応事例先駆者を呼んでのトーク。最後は田中氏プロデュースの近未来の技術と心情との接点を描く短編映画(本当は3部構成で、最後の3部目に自分自身をゲストとしてトークしているという設定なのだろうけれど、別扱いした方が良いように思われたので4部とする)。
最初の3部の先駆者トークは、良くこれだけ事例を一同に集められたなぁと感じ入ってしまうもの。MM製品のβ版のお披露目から、ちょっと普通は思いつかないような活用方法まで。Flashを中心とした技術適応の幅広さを見せ付けられた。Flashの懐が深いのか、人間の感性にFlashがマッチしているのか、どちらか分からないが、色々な適応事例を見ているうちに、考え方に制限をつけているのは、人間の方かもしれないとも思わされた。
最後の短編映画。後で聞くと賛否両論ではあったようだが、私は涙腺緩みました。小学生の男の子が夏休みに田舎の祖父のところに泊まっている。虫眼鏡のようなモノで何かを覗くと、その構成要素情報を知ることができる。そうした情報を得るということと、その男の子の心情とが触れ合う。Webを通して私たちは多くの情報に接し、その洪水状態も当たり前になってきている。でも本来、情報ってもっと人間の「幸福」みたいなところと密接に繋がっていくべきモノなんじゃないだろうか。そんな問いかけともメッセージとも受け取れる映像が大画面で流された。
技術カンファレンスにおいて、このような映像を流すことの意味は何だろう。賛否両論の分かれ目はこの辺りに起因する。技術先行型の行き着く先に、人間を幸せにするゴールが間違いなく待っているのであれば誰も不安を感じない。でも、最近のWebでも家電でも議論されている「ユーザビリティ」とかの概念は、「現状はちっとも人間に優しくないよね」というのが出発点だろう。ならば、思いっきり人間の心情側に振れた時間や空間が技術カンファレンスにあっても良いのではないだろうか。少なくとも私は自分が何のために情報集積空間であるWebサイトを作るのを仕事にしているのか、足元を見直した。

C) Flex
事実上 MAX JAPAN 2004 最大の問題作といえるもの。Flex自体は少し前から技術情報は公開されているMacromedia社のSIer向けの戦略製品(技術)。MXMLというXML形式で記述したファイルをサーバに置き、そこにFlexが入っていればそれを swf(Flash) に変換してくれるというもの。今までとの最大の違いは、そのMXMLを記述する方法は通常のテキストエディタでもOKだという点。勿論専用のツール(コードネーム:BradyというDreamweaverライクな製品)は登場するが、Flashの開発現場にFlashというパーッケージソフトが不要になる。

MXMLというテキストファイルだけで管理できることのメリットは、SIerには絶大だ。まず、タイムラインという未知の概念を習得する必要がない、Flashというオーサリング環境の操作法を学ぶ必要もない。HTMLのformタグのように記述すれば、Flashの情報入力欄が出来上がるのである。そしてソースコード管理が、従来の手法をそのまま適応可能だ。Flashを特別視することなく、通常のプログラミング言語の一つとして管理可能だ。
最大の問題作と称する理由は、そのデモ内容。MAXの会場の中央部分で丸々2日間披露されていたのは、Acos(エイコス)というメインフレームの操作画面をFlexによって、Flash化したもの。メインフレームの画面そのものの見た目。黒地に緑の文字。マウス操作は想定されていなくて、基本的にファンクションキーと矢印キーとタブによるテキストフォーム移動。今の若い方々にはWindowsが立ち上がる前にF2とか押したときのみに見ることができるDOS設定画面といった方がイメージし易いだろうか。そのインタフェースが古臭いとか言うのではない。マウスがない時代に作られた画面なのである。それがそのまま再現されている。メニュー画面で数字がふられているが、その数字やその文言をクリックしても何も起こらない。下にあるテキスト入力欄にその数字を書き込むか、割り当てられたファンクションキーを押下することで次の画面に移る。この画面がFlashでできている。右ボタンを押すとFlashの設定メニューが当たり前のように表示される。
更に驚きなのは、そのデモの作られ方である。メインフレーム時代も画面設計というのは、内部のデータ処理ロジックの記述とは別個に進められた。画面定義ファイルというユーザインタフェース(UI)部分だけをまとめたファイルでデザイン(設計)している。その画面定義ファイルをMXMLに自動変換したのだ。これはSIerにとってとてつもないインパクトがある。過去の、もはや捨て去るしかなかった画面定義ファイルがそのままMXMLに変換できて、Flashという最新技術をまとうことができるのだ。既にメインフレームとWebシステムとを融合させる部分はできている。UI部分だけがネックになっていたといっても良い。様々な記述方法が存在する(デザイン要素が複雑に絡み合っている)HTMLに、従来の画面設定ファイルを自動で変換することには無理があったし、陳腐なHTML画面を作れてもマーケティングインパクトに欠けるのだ。それがFlexのおかげで可能になり、スポットライトを受けるに値するように見えてきた。
但し、問題点だという理由はここにある。近年、デザイナへの投資を渋り、社外に出ないようなイントラ系サイトの開発はエンジニアだけで行われることが少なくない。こうした開発エンジニアがデザインの教育を受けていないばかりか、デザインそのものに興味がない場合も稀ではない。こうした状況下で、ただコード(MXML)を記述するだけでFlexがswf(Flash)を生成できてしまうインパクトに頭を抱えてしまう。コードで書けるということはコピーペーストがいとも簡単にできるということであり、HTMLのデザインガイドを遵守するようなこともできないエンジニアがそうした武器を手に入れた場合何が起こるのかは火を見るより明らかだろう。
メインフレーム時代は、多々ある制約の中で少しでも使い勝手を考えるということがその画面設計スキルであった。方眼紙に何度も試作してそれから座標情報をベースにコーディングしていく。不自由な中にもUIに対する敬意が含まれていた。しかし今はそれはない。便利なツールのおかげで、ただドラッグするだけでいとも簡単にUIを生成できてしまう。デザインやユーザビリティを考えなくても画面は作れる。
FlashをFlexに押し上げた力は、多分正統な時流と呼べるだろう。魅力的といっても良い。しかし、それを受け入れるだけの素地がエンジニアにはまだ備わっていない。その意味でFlexはパンドラの箱だ。中に未来のカケラがあろうとも、それを見るまでに悪しきモノが山のように出てしまう予感がする。 MAXの会場で、そのデモを見てから暫く考え込んだ。そのデモ自体には文句のつけようがない。見事と思う。しかし、そこから派生するFlashアプリは本当に「Flash」なのか。「豊かなユーザ体験を提供するFlash」なのか。一晩考えて出た結論は、「NO」だった。Flexが市場に出たあたりから、swf=Flashという図式が崩れるのかもしれない。「Flash」という言葉はもはや単一企業の製品や技術を指さなくなるかもしれない。ティッシュが米国では某製品名で呼ばれるように。何でコーディングされたかがその価値を決めない時代に入ろうとしている。どれだけユーザのことを考えて開発されたのか、それがWebアプリの基準になっていくのかもしれない。
「Flashかどうか」ではない、「良いFlashかどうか」。そう「良いWebシステムかどうか」に原点回帰しているだけなのか。昔大きらいだったレポートの名が浮かんでくる、「Flash 99% Bad」。

様々な懐かしい顔や大御所さん達との出会い、立ち止まること、先を見回すこと、様々な機会を与えてくれた MAX に感謝。

以上。/mitsui

コラム No. 51

睡眠学習

Ridualの販売(2003/6)を開始し、オンライン販売開始(2004/2)に至るまで学校行脚を幾つかしていた。専門学校から大学まで。久々の「学校」である。特に専門学校生に対して、Ridualを語るとき面白い感慨に触れることができた。

高校卒業したてから数年のレンジの学生が集う。勿論今まで話をさせて頂いた中で一番若い年齢層。Ridual はWeb制作のプロを対象ユーザとして開発しているので、そもそもかなりの場違いだ。更に学校側の都合もあって、決してWebを指向した生徒さん達だけではなかった。斜陽とまでは言わないが、最近の沈滞気味のWeb業界を端的に感じる。人気はやはり3Dからゲームの方向だそうで、そちらをメインにしている若者が多かったと聞いた。人数的には50人前後。そんな彼らを相手に、1.5時間から3時間程度の話をする。

講義が始まる。最初は、そもそも”NRI(野村総合研究所)”の名さえ知らないという点から、生徒達が少し興味をもって視線を注ぐ。「”研究所”って何屋さん?」が本音か。しかし、私の語り口自体が余り親切でないのかもしれないが、徐々に脱落していく。早く時間経たないかなぁ、他の事しよう、あ~つまんねぇ、様々な本音がそのまま顔に出て来る。いたって正直。睡魔と格闘もせずそのまま腕を組んで寝込む子もいるし、それに気がつき私に気を使って起こして廻る先生方がいる。ただただ睡魔と戦って頭を上下し続ける子や、ただ姿勢を保つだけに集中している子や、いかに寝ていることを他に悟られないでいられるかに長けている子もいる。決してまじめな方ではなかった自分の今までの学生生活を凝縮したような光景だ。それにしても教壇というのは何でもよく見えるものだ。先生にはバレないなんてことは実はなかったんだろう。過去の先生方に「すみません」と心の中で謝ってしまった。

勿論全員が退屈し切っていた訳ではない。2~3割の生徒が頬杖をつきながらも興味を持ち続けて終了の時間を迎え、どの学校でも最低1割程度が目を輝かせてこちらを見つめてくれた。この辺りは狙い通りといった感じだ。Ridualは決して万人受けするツールではない。サイト内の導線を視覚的に捉えたり、使用しているリソースを一覧表でチェックしようとする者が大多数になるはずがない。それはどこまでWebサイト制作を長期的に見ているかで決まってくる。一回きりの制作で満足する人には、Ridual的な考え方は回りくどくて面倒なだけだろう。思いついたアイデアが「揮発」する前に形にして行く、そんなやり方の方が直感的だ。しかし、それを繰り返す時に無駄な作業が発生していく。だから作業の標準化やワークフローという考え方が必要になってくる。誰が誰と組んでも、あるレベルの品質は保証できるような体制つくり。自分の個性はその上に築いて行くモノ、という段階的戦略。そこを指向するのは1割程度だと考えている。

20歳前後の若者にそんな話をする。くどくどと説教する爺さんになった気分だ。まだ走り出してもいない子に、こけた時にはどうすれば良いかを諭す役。話しながら場違いを自覚する。でも、1割の子達の視線が熱い。真剣に見つめてくれる。身が締まる、背筋がシャンとする気分。私が話す言葉が、種となり、いつか芽を出し大きな見事な実をつけるかもしれないというワクワク感。見事な実がなっても、当人達は私の話を聞いたことも憶えてもいないだろうけれど、そんな自分の子育てに通じるような教育の現場。でも、そんな状況から、いつか今の不毛な作業を強いるWeb開発環境が変わっていくだろうという期待感。万感の思いを勝手に夢想しながら、声をふりしぼって話をした。

何回かの休憩時間の間にも、人間観察をする。つまらなかったとアクビをする子もいるけれど、今話されたことは何だろうと考え込む子もいる。今までWebデザインで学んできたことは、多分レイアウトとかグラフィックの話が中心だろう。Ridualの文脈ではそこには触れない。そもそもRidualはページ内のデザインには原則的にはノータッチのツールだ。そこは既存のツールに全て任せている。その辺りの接点が混乱を招いているようだ。「こんなこと知って、何が”デザイン”できる訳?」と自問自答している。悩んでいる子は輝いて見える。

そんな禅問答に囚われない子もいる。Ridualのダウンロード機能を説明すると、まずそこから入ってくる。休憩時間に入って数分すると、「すっげー全部ダウンロードできちゃったよ」と歓声が上がる。本能に任せた画像をその場で落としてきていた。男子生徒が集って喜んでいる。別に不謹慎だとか思いもしないし、非難もしない。Webに興味を持つキッカケは千差万別だし、そこにフィルタを置くことにも意味を感じない。問題はその子がどこで満足するかなんだと思う。興味のままに画像を集める。それを整理したくなり、効率的な収集保存管理方法を模索する、そんな学習ルートもアリだろう。休憩時間になるなりそれを試そうとした子は、私の半ば抽象的な話を聞きながら何をどうやったら、今の話を自分のフィールドに持ち込めるのかという応用を思案していたのだ。

Web上の新しい技術を知るたびに、それを自分の仕事にどう適応できるのかを考える力は必須の能力。「自分のできること」を「今できること」に限定して考えることは誰もが陥り易い落とし穴だ。エンジニアでもデザイナでも、そんな考えの虜になっている人は山のようにいる。「今自分にできないこと」は無価値であると判を押し無視する。そのうちに自分自身が時流から取り残され無視されていく。方や「今自分ができないこと」は学べばよいのだと踏み出す者がいる。そうして踏み出し続ける者たちの中に、ただ新規さだけに囚われない「選球眼」が育まれる。汗し踏ん張る者の選球眼は鋭く研ぎ澄まされ、手を汚さず推測の評価を下す者は、ネット裏で嫌われる解説を繰り返す。ネット裏で輝く人もいるけれど稀だ。主人公は泥だらけのフィールドに居る。そんな主人公(ヒーロー)達が目の前の若者から生れる出るのかもしれない。

久々の教育の現場は、私にとって刺激の連続だった。図書館で調べるしかない時代に学んできた私にとって、若い学生の反応も刺激の一つだ。私の時代でも少しは兆候があったが、学生は語る者の肩書きなんぞに目もくれない。話が面白いか、興味が持てるかだけが決め手だ。ネットが商流の中抜きを進めているように、知識や技術の伝達経路でも同じことが起こっているように感じる。ありきたりの知識は、検索すれば出てくる。大事な「時間」を使って聞く価値がある「授業・講義」なのかどうか。壇上に立つ者の覚悟が益々問われているのだろう。私は所詮この数時間のピンチピッターという言い訳を確保しながら、そんなことを考えていた。

睡眠学習をやり遂げた学生に対しては何の怒りも感じなかった。睡魔を防ぐ手助けとして、コックリ比率が上がると実習を交えて、少しの手助けをしたが、寝る子はそのままにするしかない。私のプレゼン能力にも左右されることだから、一概に責める訳にも行かぬ。でも多分そんなことより、少し羨ましかったのだと思う。学ぶだけで一日を終えて良い時代。学生だけの特権。冬に困ろうが夏に遊び呆けるキリギリスへの羨望。いつか蟻のようになるのなら、許される時に精一杯羽を広げて寝てもいいんじゃないか、そんな思いが消せなかったのかもしれない。でも、いつか眠ることも許されない現場に駆り出される。そして、それを充実と呼ぶ。そう呼べる現場で働きたい。

Ridualの開発コンセプトや生い立ちを話しながら、Ridual自身の能力がまだ満足できる域まで至っていないことにも触れる。でも始まりのないところからは何も生れない。Ridualはもう直ぐ1歳になろうとしている。V2の仕様と現在格闘中だ。夢だけはどんどんと広がってる。でき得るだけ早くその姿もレポートしたい。

Webについて大方のことは分かっている錯覚に落ちっていたことを最近痛感している。学ばなければいけない事が雪崩のように押し寄せている。平静さを保っているかのように見えるWeb業界が不気味に感じる程だ。キーワードは「アクセシビリティ」。今までのやり方が通じない。教える立場に立てない程足元が揺れている。最近の学生はなどと言っていられない。私も学ぶ側だ。

以上。/mitsui