コラム No. 64

RIAコンソーシアム

ひょんなことからRIAコンソーシアム(RIAC)という団体に関わることになった。RIAとは「Rich Internet Application」の頭文字。語源的には Macromedia 社が提唱する、Flash中心の次世代Webアプリケーションの総称。そのMacromediaとビジネス・アーキテクツとITフロンティアの三社が発起人になり、2003年末に発足した。

NRIとRIACとの接点は、「中立」であろうとする点。圧倒的なシェアを持つ技術であろうと、NRIは中立性を保つことを基本としている。コンサルティング部門の歴史と政策提言などまで行なう企業スタンスの現れである。今回もRIA関連製品企業との中立性を条件にRIAC発足時から幹事企業として加入した。

RIACの事実上の活動は、2004年4月からと言っても良く、公開セミナーと会員企業間の勉強会を中心にしている。まだまだセミナー内容は Flash が多くはあるが、「中立」への意識は強い。製品戦略上は接点を避けているようにさえ見える、Biz/Browser や Curl にも同じ壇上で語ってもらっている。Flash に偏りがちなのは、不特定多数に見てもらえる環境と知名度の点から、ある程度はしょうがない部分であるだろう。

メーカの思惑などから、市場には「リッチクライアント」や「スマートクライアント」等様々な言葉が既に存在してしまっているが、既存技術との本質的な違いは、ユーザインターフェース(UI)の表現力の差だと言えると思う。RIACでは、それを、UI部品的部分と、標準技術等との連携、開発プロセスの整理、という三視点を三つの分科会で議論している。「HTMLを越えた次世代Web系開発基盤」を何と呼ぼうと、これらの整理がよりよいUIアプリケーションの普及を促進させるものになると信じ、最終的には何らかのガイドライン作成を目標としている。

現時点の成果をまとめるのは難しいが、少なくとも会員企業間では自社内のみでやっていたのでは至れない技術交流が成立しつつあり、技術を見る目も肥えてきた。例えば、前出の Biz/Browser は国産の VisualBasic ライクな開発環境であり、Curl は MIT で生れた世界標準を強く意識した技術である。生れも育ちも異なる技術の現時点の到達位置を、そのメーカ自らの語る言葉をベースに比較すると、自力で調査してきた以上に色々と考えさせられる。

外国産だからというのが、日本語変換部分のサポート状況の言い訳にならないことも明白にされたし、頻繁に使われるだろう機能の開発手順や、情報提供の質と量の差等興味深い発見が続いている。様々な状況やお家事情が重なって各製品の「今」があるのだろうけれど、メーカを中心に見るのではなく、使う我々を基点に肌身を通して比較ができる点は、今までにない場の提供であり、成功点として数えられるだろう。

システムインテグレータ(SIer)が、アニメーションツールとして生れた Flashにまで注目をしているのは、何故だろう。私見だが、既存のアプリケーションの定義では、使われる現場からのニーズに応えられなくなっているためだ。

通信環境は、少し前よりも確実に良くなり続けている。しかし、利用者の感覚は、そのスピード以上に早くなっている。数年前なら10秒待てたのが、今だと5秒待たされてもイライラする。こうした即応性だけでなく、ユーザビリティに属する部分も、SIerや経営者の考えを越えて進んでいっている。不便な使い勝手や、理不尽な(無意味な)入力強要システムへの嫌悪感は明らかに上がっている。我慢してはもらえないのだ。

上司や経営者がこれを使えといっても、現場が暗黙の拒否権を発動する時代になった。勿論、現場はたてつくように文句は言わない。しかし、数字がものを言う。そのシステムを導入することで生産性が上がったかどうか。理が分かる経営者には、その無言の叫びが数字を通して届いている。

HTMLは、そうした現場の査定にあいながら、既存のクライアントサーバ(C/S)システムと比較された場合、明らかに嫌われてきた。余りに反応が遅いし、使い勝手が悪いのだ。そもそもページ配信という概念自体が、時代とずれてきているようにも思う。もてはやされるように導入されたHTMLシステムが、ここ数年憂き目にあっているという記事が各種メディアで取上げられているけれど、それは氷山の一角でしかない。

作ったものが使われない。これを、制作費は払ってもらえたので何とも思いませんと言える開発者はいない。居たとしたらどこかおかしい。喜んで使ってもらえることに汗を流してきた意味がある。

システムが、今まで思われてきた「システム」であり続けられるのか。何か別の魅力を持つべきではないのか、何か今まで見過ごしてきた「価値」があるのではないか。焦り始めているのはまだまだ少数派だ。しかし確実に増えている。

価値の下落が始まったなら、打てる手立ては新たな付加価値をつけることだ。そうした状況で、システムが今後「まとうべき衣」とは一体なんだろう。ある人達は、標準技術やオープンソースと答え、ある人達は特定技術の世界制覇だと答え、ある人達は高性能化だと答える。そして、UIの洗練だと答える人達もいて、その人達が、今RIAに注目している。

システム屋の Flash 等へのラブコールは、実は救済依頼をしているような状況だ。もはや、DBやプログラム言語やフレームワークでは、システムを魅力的にできないところまで行きついている分野が出てきている。そして確実にその領域は広がっている。

エンジニアは声を上げている、誰かに助けて欲しいと。その声の先にデザイナやクリエイタと呼ばれる層がいる。しかし、HTML時代にエンジニアとデザイナは良好な関係構築を果たせなかったツケが回ってきている。お互いにどう話していいのかさえ分からない。

実は、まだ詳細は書けないが、現在私は某Flashプロジェクトに関わっている。サーバ連携の部分と、ユーザビリティを含めた演出の部分と、お互いに補完しながら新たな価値を生み出せる領域に入れたと感じる。エンジニア技術とデザイン技術は何ら矛盾することなく、エンドユーザのお役に立てることを、実証できつつある(多分に自画自賛的だが)。関わっていて、格段にハラハラしクタクタになりつつも、それ以上にワクワクしている。

世間には、アニメーションが初心者、上級者ほどActionScript(エンジニア系)という、漠然とした雰囲気がある。誰が言い始めたか知らないが、業務アプリを開発し出すとそれが間違いだとはっきりと気付く。担う役が違うのだ。

どんなに多くの魔法を詰め込んでも、そのランプをこすらなければ何も始まらない。どんなに魅力的な呼び鈴だろうが、ろくでもないお化けが出てくるのであれば、その呼び鈴は使われることはない。便利な機能を満載した家には、それに相応しく使い勝手も美しい玄関が必要だ。優秀なエンジニアリングには、有能なデザインが寄り添っていて欲しい。

業界的に不足している職種がある。UIデザイナ。言葉として定着するのか不明だが、「日経デザイン」等を中心に最近ハードウェア系で多少関心が高まっている、プロダクトデザインや、家電製品やケータイ等の操作性向上を担う職種。私の周りには既に何人か存在して、今は彼らと話をする時間が一番楽しい。

TVリモコンの操作性で毎回ボヤく人や、電車の切符売り場で考え込んじゃう人、留守番電話の設定が全然憶えられない方で、それを他人と理屈を伴った形でコミュニケーションできるなら、多分誰でも素養がある。

活躍の場の中心は、インターネットというよりはイントラネット。対象ユーザは不特定多数ではなく、ある程度限定された有スキル者。人気がなければ消滅するタイプよりは、ある期間は必ずある程度のユーザが使用することが保証される(ユーザは義務的に使わされる)。エンジニアとの折衝は、インターネットよりも増加する傾向を持ち、使用者からのフィードバックは、求めるならば必ずもらえる(義務として答えるユーザが割り当てられる)。姿の見えないユーザではなく、名前まで知りうる人達の日々の仕事を、UIを使って「滑らか」にする仕事。但し、チャンスがあれば不特定多数のそれにもチャレンジできる。そして、そのチャンスは徐々に大きくなっている。

アニメーションや3Dだけがクリエイティブと呼ばれる時代が過去のものになるかもしれない。業務アプリケーションの操作性の向上に携わる場面で、クリエイティブという言葉が使われる時代が来るかもしれない。

ゲームや映像の世界ほど注目は浴びないが、実は長い歴史を持ち、未だに改良の進んでいる分野。今後は、メインフレームの無味乾燥した画面で情報処理をやっていた人から、ケータイで親指だけで小説がかけてしまう世代までが使うIT環境のデザイン領域が待っている。

書き連ねると苦労話の連続になってしまう。先駆者としての苦労は山ほどある。が、実際に幸せにできる対象は全サラリーマンかもしれないという対象の広さ。日常業務から「苦」を駆逐するという古くて新しい分野。知っているモノ全てを投入し尽くせる奥の深さ。…そんな職種が生れつつあるということ、UIデザインという領域のエキサイトさを、若いデザイナに知ってもらいたい。

ref)
RIAコンソーシアム : http://www.ria-jp.org/
(まだコンテンツが少ないですが、徐々に増やしていく予定です。また、内部情報ですが、10/6(水)に品川でセミナーを開催予定です。来週中に正式アナウンス予定)

以上。/mitsui